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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)7799号 判決 1985年6月21日

原告 東京都

右代表者知事 鈴木俊一

右訴訟代理人弁護士 浜田脩

被告 豊田久三郎

右訴訟代理人弁護士 鈴木一郎

同 錦織淳

同 浅野憲一

同 山岡正明

同 高橋耕

同 笠井治

同 佐藤博史

主文

一  被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の建物を明け渡し、かつ、昭和五五年一月一日から右明渡し済みまで一か月金五二〇〇円の割合による金員の支払をせよ。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

三  この判決は、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文第一、第二項と同旨の判決及び仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)は、原告が昭和三二年に都営第三蒲原住宅として建設した平家建一八戸の公営住宅のうちの一戸であって、その所有権を有し、これを管理していた(以下右一八戸の住宅を一括して「第三蒲原住宅」という。)。

2  東京都知事は、昭和三二年六月二一日被告に対し、本件建物の使用を許可し、爾来被告は、これを使用している。そして、本件建物の使用料は、当初は月額金一九〇〇円であったが、昭和五一年一二月一日以降は月額金五二〇〇円となった。

3(一)  東京都知事は、昭和五三年七月、第三蒲原住宅及びこれに隣接する都営第一蒲原住宅(戸数三六戸)の合計五四戸の建物を除却し、その跡に公営住宅合計六三戸(四階建二棟合計四八戸・三階建一棟一五戸)を建設する内容の建替事業計画(以下「本件建替計画」という。)を作成し、昭和五四年一月二二日建設大臣にその承認を申請した。

(二) 本件建替計画は、次のように公営住宅法(昭和五五年法律第二七号による改正前のもの。以下も同じ。以下「公住法」という。)第二三条の四各号の要件を満たすものであった。

(1) 第一蒲原住宅及び第三蒲原住宅は、市街地の区域にあり、その敷地面積の合計は、六五六八・五五平方メートルであって、公住法第二三条の四第一号、同法施行令(昭和五五年政令第一〇〇号による改正前のもの、以下も同じ。)第六条の四所定の規模(〇・一五ヘクタール)以上の土地に集団的に存在していた。

(2) 第一蒲原住宅及び第三蒲原住宅の合計五四戸の建物は、いずれも、昭和三一年から昭和三二年にかけて建設された木造平家建の建物であり、昭和五三年には、公住法第二三条の四第二号所定の耐用年限(公住法第二四条第一項、同法施行令第七条第一項による二〇年)の二分の一の期間を経過していた。

(3) 本件建替計画における新設戸数と除却戸数の比率は、公住法第二三条の四第三号本文所定の二倍以上を下回る一・一六六倍であったが、次の各事情が存在したから、同号但書の特別の事情がある場合に該当する。

(イ) 本件建替計画の敷地の中央部分を区道が東西に貫通していたため、敷地が不整形となり、有効な敷地の利用が妨げられていた。

(ロ) 本件建替計画の敷地の存する地区は、住居地域であって、容積率が一〇分の三〇の第三種高度地区であったため、建築基準法第五六条の二第一項、東京都日影による中高層建物の高さの制限に関する条例第三条第一項により、敷地境界線からの水平距離が一〇メートル以内の範囲における日影時間が五時間、敷地境界線からの水平距離が一〇メートルを超える範囲における日影時間が三時間とする日影規制を受ける地域であったため、建物の高さが著しく制約された。

(ハ) 敷地の周囲には住宅が密集していたため、居住環境を保全するため、原告は、右(ロ)の日影規制による制約以上に建物の高さの自主規制をせざるを得なかった。

(4) 新たに建設される建物は、中層の耐火構造の公営住宅であった。

(三) 建設大臣は、昭和五四年三月一日本件建替計画を承認した。

4  東京都知事は、昭和五六年二月三日被告に対し、建設大臣が前項三記載のとおり本件建替計画を承認した旨を通知した。

5  東京都知事は、昭和五六年二月二三日被告に対し、同年八月三一日限りで被告に対する本件建物の使用許可を取消し、同日限り本件建物を明渡すことを請求した。これとともに、原告は、被告に対し、本件建物明渡後の仮住居の提供及び移転料の支払につき次のように提示した。

(一) 仮住居 足立区東和四丁目一四番地三号所在 都営東和四丁目アパート三号棟四〇二号室

右住宅は、鉄筋コンクリート造りの建物の一室(二DK)であって、本件建物から数十メートルの位置にあった。

(二) 移転料   金一〇万九〇〇〇円

6  右のとおり、被告は、昭和五六年八月三一日限り本件建物を使用する権限を失った。そして、被告は、昭和五五年一月一日以降の本件建物の使用料及び使用料相当額の損害金の支払をしない。そこで、原告は、被告に対し、公住法第二三条の六第三項及び東京都営住宅条例第一九条の一〇第二項に基づいて本件建物の明渡しを求めるとともに、昭和五五年一月一日以降昭和五六年八月三一日までの間の一か月金五二〇〇円の割合による本件建物の使用料及び同年九月一日から右明渡済みまでの右同割合による使用料相当額の損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  第1項の事実中第三蒲原住宅が建設された時期の点は知らない、その余は認める。

2  第2項の事実は認める。

3  第3項(一)ないし(三)の各事実はいずれも知らない。

4  第4項の事実は認める。

5  第5項の事実中原告主張の請求及び提供につきその通知が被告に到達したことは認めるが、その余は否認する。

三  被告の主張

1  公住法第三章の二の建替事業に関する諸規程は、次の理由により、憲法第二五条、第二九条及び第一三条に違反し、無効である。

すなわち、公営住宅の居住者が当該公営住宅に居住する権利(以下「居住権」という。)は、憲法二五条第一項の「健康で文化的な生活を営む権利」であるとともに、その財産的側面は、憲法第二九条第一項の「財産権」に該当し、かつ憲法第一三条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」としても保障されている権利であるから、合理的な根拠がないのに居住権を制限することは許されない。しかるに、公住法第三章の二の各規定が定める公営住宅建替事業制度は、居住権の制限を伴うものでありながら、次のとおり、内容において不合理なものであって、居住権を制約するについての合理的な根拠を欠き、憲法第二五条、第二九条及び第一三条に違反する。

(一) 公住法第三章の二の公営住宅建替事業に関する諸規定は、公住法制定後一八年を経過した昭和四四年に、既存の公営住宅の建替により公営住宅の戸数の増加を図ることを目的として新たに設けられたものであるが、公営住宅が不足した原因は、長年にわたって国及び地方公共団体が十分な戸数の公営住宅を建設することを怠ったことにあるにも拘らず、建替事業は、その責任を建替の対象となる既存の公営住宅の入居者に転嫁し、その犠牲において公営住宅の戸数の増加を図るものであるから、その制度の趣旨において合理性がない。

(二) 公営住宅建替事業により期待することのできる戸数の増加は僅かであり、昭和五五年度における東京都の場合を例にとれば、建替による新設戸数と除却戸数の比率は、約一・三倍にすぎなかった。このような僅かな戸数の増加のために、既存の公営住宅の入居者の居住権を制約することには、合理性がない。

(三) 我国の住宅事情は、昭和四八年ころにおいて量的には充足される至り、その後の住居政策の課題は、住宅の質の向上へと移行した。したがって、右の時点をもって、公営住宅建替事業により、既存の公営住宅の入居者の居住権を制約してまで住宅戸数の増加を図る必要性及び合理性は失われた。

(四) 公住法第二三条の四第二号は、建替事業の要件の一つとして、建替の対象である公営住宅が、同法第二四条第一項の耐用年限の二分の一を経過していることを挙げているが、右の耐用年限は計数上の概念にすぎず、実際の朽廃状況を反映するものではないから、右の定めには合理性がない。

(五) 公営住宅建替事業は、公営住宅の建設用地の取得難についての対策をも目的とするものであるが、国及び地方公共団体は、公営住宅の建設に適当な国有地及び公有地を所有していながらこれを利用していない。したがって、用地取得難を理由に公営住宅建替事業を行うことには合理性がない。

(六) 公営住宅建替事業は、公営住宅の中高層化を目的としているが、中高層住宅は、防犯性能が低く、ガス爆発事故の危険性も高いため居住の安全性が高いとはいえないから、右の目的には合理性がない。

(七) 公住法が昭和二六年に制定された当初においては、入居者に対して将来その住宅を払い下げることが予定されており、その後も昭和三四年の改正により、払下が大幅に制限されるまでの間においては、地方公共団体の担当職員らから公営住宅の入居者らに対して、いずれ払下をするとの説明がなされていたので、公営住宅の入居者は、いずれ払下げを受けることにより、当該公営住宅に定住することができるものと信じていた。このような入居者に対して建替を理由として明渡しを求めることは苛酷であって合理性がない。

2(一)  仮に、公住法第三章の二の公営住宅建替事業に関する諸規定が有効であるとしても、公営住宅の入居者の居住権は、前述のように国民の憲法上の権利であるから、右の諸規定は、居住権をみだりに侵害しないように制限的に解釈されなければならない。

すなわち、公住法第三章の二の諸規定は、借家法の特別法であって同法第一条の二の適用を排除するものと解すべきではなく、公営住宅の管理主体が入居者に対して建替の必要があることを理由として同条により解約の申入をすることができる場合を公住法の右規定に定める場合に限定したものと解すべきである。そして、明渡の請求について定めた公住法第二三条の六は、借家法第一条の二と性質を異にするものであるとしても、公住法第二三条の六により入居者に対して明渡しを請求するためには、公住法第三章の二の諸規定の要件を形式的に具備するだけでは足りず、明渡しの対象とされている個々の入居者との間において、借家法第一条の二の「正当の事由」と同等の実質的な建替の必要性があることを要するものと解すべきである。

(二) 被告には、本件建物を使用し、原告からの明渡請求を拒むことについて、次のとおり正当の事由がある。

(1) 原告は、昭和三三年六月二一日本件建物に入居したが、その際の入居説明会で、原告住宅局職員から、将来本件建物の払下を受けることができる旨の説明を受け、以後本件建物の払下を受けて定住することを希望していた。

(2) 被告は、大正一四年九月一日に出生し、妻和子とともに本件建物に入居したが、和子は、昭和三三年九月ころ肺結核のために入院した。被告は、同年一二月和子のための医療扶助を受給するために勤務先を退職して生活保護を申請し、その後昭和四九年一二月末まで生活保護を受給してきた。

和子は、昭和三五年一二月に退院して昭和三六年五月二三日に長女浩子を出産したが、昭和三九年一〇月八日に死亡したので、その後被告は、右浩子を男手一つで養育してきた。

被告は、昭和五〇年ころから約三年間にわたり商店の倉庫係として稼働したが、その間に足腰を痛めた。

被告は、右倉庫係を退職した後はアルバイトで生計を立てていたが、昭和五五年三月に胸椎を骨折するとともに腎臓病に罹患し、通院加療のため、アルバイト先も失い、昭和五七年四月から生活保護を再び受給している。被告は、現在変形性脊椎症及び高血圧症に罹患している。

被告は、右の経歴及び病状から明らかなように、経済的にも身体的にも困難な生活を余儀なくされており、本件建物を使用する必要がある。

(3) 原告は被告に対し、移転先として公営住宅を提供したが、その使用料は、本件建物の使用料を上回り、被告の負担能力を越えるものであったうえに、その住宅は、中高層建物の中高層階部分にあり、同所に移転して居住することは、病気にかかっている被告の身体にとって重い負担となる。

(4) 被告は、亡妻と生活し、長女を養育した本件建物に対して強い愛着の念を抱いている。

3  請求原因第3項(二)(3)の事実は、公住法第二三条の四第三号但書の特別の事情に該当しないから、本件建替計画は、法定の要件を欠き、無効である。

4  本件建替計画においては、請求原因第4項の通知が本訴提起後しかも建替が完了した後になされたものであるうえに、右通知後、公住法第二三条の九に基づく説明会の開催もなく、原告は、被告に対して本件建物の明渡を請求するために必要な手続を履践していないから、原告は被告に対し、本件建物の明渡を請求することができないものである。

5  被告が昭和五三年七月二〇日原告主催にかかる建替計画説明会に出席して反対意見を述べたところ、その後原告住宅局職員荻山幸一は、被告方を訪れ、被告に対し、図面を示して建替計画を実施する旨を告げたが、本件建物の明渡を求めることもなく、移転する気になったら電話で連絡して欲しいとだけ申し述べて被告方を立去った。以上の経緯により、原被告間に、本件建物を残したまま建替を実施する旨の合意が成立し、これに基づいて、原告は、二軒長屋形式で本件建物と一体をなしていた隣家部分を除却し、本件建物を独立させた。

6  本件建替事業は、昭和五六年初頭には完成したから、立替のために被告に対して明渡を請求する必要性は消滅した。

7  被告は、昭和五四年一二月分までの本件建物の使用料を第一相互銀行大谷田支店の被告名義の口座から自動振込によって原告に支払っていたが、昭和五五年一月分以降の使用料についても、その相当額を右口座に入金するとともに、原告に対してその旨を通知することにより、原告に対して弁済の提供をしている。したがって、本訴請求中使用料及び使用料相当損害金の支払を求める部分は、理由がない。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求原因第1項及び第2項の事実は、第三蒲原住宅の建設の時期の点を除き当事者間に争いがない。そして、《証拠省略》によれば、次の各事実が認められ、この認定を左右する証拠はない。

(一)  第一蒲原住宅は昭和三一年に、第三蒲原住宅は昭和三二年にそれぞれ建設されたが、これらの住宅は、いずれも木造の二軒長屋形式のものであって、一戸当たりの平均床面積は、約二八平方メートルであった。

(二)  原告は、昭和五三年当時その所有及び管理にかかる木造の公営住宅を全戸建て替える方針であった。

(三)  第一蒲原住宅及び第三蒲原住宅は、昭和五三年当時公住法第二四条第一項の耐用年限である二〇年を経過し、老朽化してきたので、原告は、同年第一蒲原住宅及び第三蒲原住宅の合計五四戸を除却し、その敷地合計六五六八・五五平方メートルの土地上に合計六三戸の中層耐火構造の公営住宅(四階建二棟合計四八戸、三階建一棟合計一五戸)を建替によって建設する旨の計画(本件建替計画)を立案した。

本件建替計画においては、敷地内に集会所及び児童遊園を設置することにより居住環境を向上させることが予定されており、本件建物の敷地部分は児童遊園の予定地の一部とされた。

(四)  本件建替計画においては、敷地の中央部を区道が東西に貫通して敷地が不整形となっていたこと、敷地が請求原因第3項(二)(3)のとおりの日影規制を受けており、しかもその周囲には木造の低層住宅が密集していたため、周辺住民の居住環境に配慮して右の日影規制以上に厳しく建物の高さを自主規制することが必要であったこと並びに建替によって一戸当たりの床面積が約二八平方メートルから約六二平方メートル(ベランダ部分を含む。)へと大幅に増加すること等の原因により、建設戸数と除却戸数の比率が、一・一六六倍であった。

(五)  東京都知事は、昭和五四年一月二二日建設大臣に対し本件建替計画の承認を申請し、建設大臣は、同年三月一日これを承認した。

(六)  東京都知事は、被告に対し、昭和五六年二月三日本件建替計画について建設大臣の承認を受けた旨を通知し、次いで同月二三日公住法第二三条の六及び東京都営住宅条例第一九条の一〇に基づいて同年八月二一日限り本件建物を明渡すことを請求するとともに、仮住居として、足立区東和四丁目一四番三号都営東和四丁目アパート三号棟四〇二号室を提供し、移転料として金一〇万九〇〇〇円を支払う旨を提示した(東京都知事による右通知等が被告に到達したことは当事者間に争いがない。)。

以上の事実を認めることができる。右認定の事実によれば、本件建替計画が公住法第二三条の四、第一号、第二号及び第四号の各要件を具備していたが、同条第三号本文の要件は満たしていなかったことが明らかである。しかし、右認定の第一及び第三蒲原住宅とその周辺の状況並びに本件建替計画の内容からすると、本件建替計画には同条第三号但書の特別の事情があるものというべきであるから、結局本件建替計画においては、公住法第二三条の四の要件に欠けるところはなかったということができる。

以上の認定及び判断によれば、原告は、公住法第二三条の六第一項に基づき被告に対して本件建物の明渡しを求めるための要件をすべて満たしたものということができる。

二1  ところで、被告は、公住法第三章の二の建替事業に関する諸規定は、合理性を欠き、憲法第二五条第一項、第二九条又は第一三条に違反すると主張する。

しかし、公営住宅につき老朽化その他の事情により健替を必要とする場合について、公益の促進及び居住者の利益の保護等の観点に立脚した、建替についての合理的な規制を設ける必要のあることは論をまたないところであり、公住法第三章の二の各規定は、公営住宅の建替の促進とその居住環境の整備の必要に基づいて建替事業を施行するものとした(第二三条の三)うえで、事業の施行についての要件(第二三条の四、第二三条の五)、入居者に対する明渡し請求の手続(第二三条の六)及び入居者の居住等に関する保護(第二三条の七以下)について定めたものであって、その内容において合理的であり、ことに入居者の居住の安定に関しては、仮住居の提供(第二三条の七)、新たに建設される公営住宅への入居の保障(第二三条の八)及び移転料の支払(第二三条の一〇)等において周到に配慮がなされているものということができる。そして、公営住宅の使用を許された入居者は、特段の事情が生じない限りその使用を継続することのできる利益を有するが、建替が公営住宅の建設の促進と公営住宅の居住環境の整備のために行われるものである以上これによって右入居者の利益が影響を受けるのは止むを得ないことであり、前述のように公住法が入居者の保護につき十分な配慮をしていることを考慮すれば、入居者につき、一時仮住居に移転せざるを得ないうえに、建替後の公営住宅に入居すれば、従前とは異なる使用料の負担をすることとなる等の不利益はあっても、これにより公住法の規定する建替制度が不合理なものと解する余地はないというべきである。

被告は、公営住宅に居住する権利が尊重されるべきであるとの観点から、公住法の建替に関する規定が合理性に欠け、憲法の前示各規定に違反するとして、るるその根拠について主張するが、右主張は入居者の居住の利益の擁護に偏した独自の見解であって到底首肯するに足りるものということができないから、公住法の前記各規定が被告の右主張に副わないものであるからといって、その規定が合理性に欠け、憲法の前示各規定のいずれかに違反するものということはできない。

なお、被告主張の公営住宅の払下の点について付言すると、たしかに制定当初の公住法第二四条は、耐用年限の四分の一以上を経過したときは払下を行うことができる旨を規定していたけれども、右規定が入居者に対して当該公営住宅の払下請求権を取得させたものと解することはできず、また、事業主体の係官が入居者に対して払下を期待することができる趣旨の説明をした事実があったとしても、これによって払下請求権が生ずるものでないことはもちろん、爾後の建替事業の実施が不合理なものとされるいわれはないというほかはない。

2  被告は、さらに、公住法第二三条の六に基づいて公営住宅の明渡しを請求するためには、公住法に定める要件の外の借家法第一条の二の「正当の事由」と同様の要件を具備することを要する旨主張するが、前述のように公住法第三章の二の諸規定は、公営住宅に関する公益の増進のために一定の要件のもとに建替事業を行うものとし、その一環として入居者に対する明渡しの請求が認められ、しかも入居者に対しては、仮住居の提供、新たに建設される公営住宅への入居の保障及び移転料の支払い等の保護措置が講じられるのであるから、公住法に定める要件を満たす限り、事業主体は、入居者に対して当該公営住宅の明渡しを請求することができるのであって、右明渡しの請求につき借家法第一条の二が適用されるものと解する余地はないというべきである。

三  被告は、原被告間に本件建物を存置したまま本件建替計画を実施する旨の合意が成立した旨を主張し、被告本人尋問の結果中には右主張に副う部分があり、また右本人尋問の結果によれば、原告は、昭和五四年五月ころ本件建物と一体をなしていたその西側の住宅一戸を取り壊して、本件建物につき居住に支障のないように暫定的な工事を施したことが認められるが、前認定の本件建替計画の内容及びその実現に向けての全経緯を参酌すれば、右工事がなされたことから直ちに被告主張の右合意が成立したものということはできないし、被告本人尋問の結果中右主張に副う部分は採用することができず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。

四  被告は、本件建替計画は既に完成したとして、本件建替計画が承認された旨の通知が右完了後になされた違法があった旨及び本件建物の明渡しの必要がなくなった旨主張するが、《証拠省略》によれば、本件建替計画においては、本件建物の敷地部分は児童遊園の一部とされることが予定されていて、右計画どおりの児童遊園は、未完成であることが明らかであるから、本件建替計画が完了したことを前提とする被告の右各主張は採用することができない。

被告は、さらに原告が本件建替計画についての説明会を開いていないと主張するが、公住法第二二条の九の規定は、事業主体に対して説明会の開催等により入居者の協力が得られるように努力すべき義務を課したものであるが、これを入居者に対する明渡しの請求の要件としたものと解することはできないうえに、前示証人米本洋平の証言によれば、被告は、本訴が提起される前本件建替計画について再三説明を受け、さらに説明及び明渡についての協力の要請のために被告宅を訪問した原告の吏員との面談をことさら回避したことが認められるから、原告において被告に対する説明を怠ったものということはできず、被告の右主張は理由がない。

五  被告は、原告の使用料等の請求につき、昭和五五年一月分以降の使用料を原告に提供したと主張するが、被告が右の提供をしたことのみによって原告に対する本件建物の使用料若しくは使用料相当額の損害金の支払を免れることのできるいわれはないから、被告の右主張は、失当である。

六  結論

以上の認定及び判断によれば、被告は、公住法第二三条の六第一項により、昭和五六年八月三一日限り本件建物を使用する権限を失ったものというべきであるから、原告に対し、これを明け渡すとともに、昭和五五年一月一日から右権限喪失の日までの一か月金五二〇〇円の割合による使用料及びその翌日以降明渡済みまで右同割合による使用料相当額の損害金を支払う義務があり、右明渡し及び支払を求める原告の本訴請求は理由がある。

よって、原告の請求を認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を、仮執行の宣言について同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 橘勝治 裁判官 櫻井達朗 裁判官遠山和光は、転補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 橘勝治)

<以下省略>

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